千葉県印旛郡酒々井町本佐倉 --奥ノ山・城山間堀切-- |
別名 | 将門山城・根古屋城 |
交通 | 京成本線「大佐倉駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 1469年〜87年(文明年間) |
築城者 | 千葉輔胤 |
形式 | 台城 |
主な城主 | 千葉氏 |
1469年〜87年(文明年間)それまで千葉宗家本拠であった亥鼻城が内乱により荒廃した為、千葉氏21代輔胤が新たな拠点としてこの地に築いたとされ、以後9代100余年間、千葉家本城として政治・経済の中心となった。 千葉氏26代親胤の時、大規模な新城の必要性から鹿島山に築城が 開始されるが、その後暗殺され、一旦工事は中断された。その後1585年(天正13)千葉氏29代邦胤の時、築城が再開されるが、再び家臣に暗殺された為、果たせなかったとされる。そして邦胤没後、子重胤が幼少であった為、北条氏政5男直重が千葉氏30代を継ぎ、重胤は側近設楽左衛門に伴われ、小田原に住む事となった。 1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、直重は小田原城に籠もり、重胤は箱根湯本口を守ったとされ、戦後所領は没収となり、千葉宗家は滅亡した。 その後本佐倉城には三浦義次・武田信吉・松平忠輝・小笠原吉次が続いて入城し、1610年(慶長15)土井利勝が小見川1万石からこの地に移ると、千葉氏の鹿島山築城工事が利勝の手により再開され、1617年(元和3)完成すると移った。 |
東山馬場 | 城山(本丸)虎口 | 城山(本丸) |
妙見社跡 | 倉跡 | 虎口 |
セッテイ山空堀 | 出城である向根古屋城・土橋 | 向根古屋城 |