向島城

向島城むかいじまじょう
京都府京都市伏見区向島本丸町
Mapion

--現地案内板--
別名 四谷城
交通 京阪宇治線「観月橋駅」から徒歩15分。
築城年代 1594年(文禄3)
築城者 豊臣秀吉
形式 平城
主な城主 豊臣秀吉・徳川家康
1594年(文禄3)豊臣秀吉が指月城を築いた際、支城として宇治川を隔てた南側の巨椋池に築いた水城。一説に徳川家康が向島の私邸に秀吉を招き、観月の宴を催した際、月見を気に入った秀吉が遊山所として築いたともいわれ、1597年(慶長2)完成した向島城に公家や門跡らを招き、瓜見の盛宴を催している。
1596年(慶長1)7月13日夜半、大地震によって指月城が倒壊すると、救い出された秀吉が一時的に避難したとされる。
秀吉没後、石田三成と対立するようになった家康は、前田利家の進言により向島城を修築して居城した。1599年(慶長4)利家が死去すると、朝鮮の役以降三成に不満を持っていた加藤清正・福島正則・黒田長政・池田輝政・細川忠興・浅野幸長・加藤嘉明の武断派七将が三成を襲撃する事件が起きた。この時三成はこの向島城で家康に保護されたといわれる。
1619年(元和5)伏見城と共に廃城が決定し、破却された。
宅地化により明確な遺構は見当たらないが、向島保育園や郵政宿舎が建つ本丸一帯は微高地となり、また東側には堀跡とも思われる暗渠化された水路が流れている。

参考文献 「現地案内板」
                 「日本城郭全集 人物往来社」
訪城回数 1
2017年4月