伏見城

伏見城ふしみじょう
京都府京都市伏見区桃山町大蔵
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--御花畑跡に建つ模擬天守--
別名 桃山城・木幡山城
交通 JR奈良線「桃山駅」から徒歩15分。
築城年代 1596年(慶長1)
築城者 豊臣秀吉
形式 平山城
主な城主 豊臣秀吉・鳥居元忠・徳川家康
この地は南方に巨椋池・宇治川を眼下に望み、水運によって大坂と京都を結ぶ要衝の地であった。
1592年(文禄1)8月17日、豊臣秀吉が隠居所として指月の丘を選び、20日縄張りが開始された。この頃は指月城と呼ばれており、規模は小さく、城史としては第1期に相当する。
1596年(文禄5)7月13日夜半、大地震によって指月城が倒壊すると、秀吉は直ちに背後の木幡山に再建を開始する。昼夜問わず普請が続けられたが、1598年(慶長3)8月、秀吉没後もなお未完成であったという。その後徳川家康が入城し、1600年(慶長5)8月、関ヶ原合戦直前、鳥居元忠が守る当城は西軍の小早川秀秋と島津義弘らに攻められ落城した。これが第2期にあたる。
その後家康により再建、第3期が始まり、1603年(慶長8)この城で将軍宣下を受けた。1605年(慶長10)には秀忠が宣下を受け、1623年(元和9)7月、家光の将軍宣下を最後に廃城となる。その後城跡には桃樹が植えられ、桃山と称されるようになった。
伏見桃山陵背後が本丸で、中心部は宮内庁の所管となり、立ち入る事が出来ない。城址西側と東側には堀跡とされる治部池・紅雪池が残されている。また伏見城の遺構とされる建物が各地に散在するが、裏付けされていないものも多くある。
治部池 模擬大手門 御花畑跡に建つ模擬天守・小天守
北堀公園
外堀跡
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御香宮神社神門
伝伏見城大手門
御香宮神社境内・伏見城残石
二条城唐門
伝伏見城遺構
明石城坤櫓
伝伏見城遺構
福山城伏見櫓
伏見城遺構

参考文献 「戦国の堅城 学研」
             「日本城郭全集 人物往来社」
                    「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2009年5月