村中城

村中城むらなかじょう
佐賀県佐賀市城内1丁目
Mapion

--佐賀西高付近--
別名 龍造寺城
交通 JR長崎本線「佐賀駅」から徒歩30分。
築城年代 鎌倉時代
築城者      
形式 平城
主な城主 龍造寺隆信
村中城は鎌倉時代から戦国時代にかけての龍造寺氏の居城で、現在の佐賀西高南半分が一の郭(後の佐賀城・諫早屋敷)、県庁駐車場付近が二の郭(後の佐賀城・多久屋敷)、県立博物館付近が三の郭(後の佐賀城・三の丸)という。
龍造寺氏の遠祖は藤原鎌足といわれ、平安時代末期に藤原季喜が九州に下向し、龍造寺村内の開発領主となる。その後高木季経の2男季家を養子に迎え、この季家が幕府の御家人となり、龍造寺村の地頭になった。村中城の名は龍造寺村の中心にある事からついた名であるという。
龍造寺氏は肥前に存在した数ある小規模な地頭の一家に過ぎなかったが、戦国時代に龍造寺分家である水ヶ江城の龍造寺家兼が戦国武将として活躍を始め、1570年(元亀1)8月、龍造寺隆信が今山合戦で大友氏を破ると、以後村中城を拠点として西肥前・筑前・筑後・肥後・豊前を制圧し、島津氏・大友氏と九州を三分する戦国大名となった。
1584年(天正12)隆信が沖田畷合戦で討死すると、村中城はその子政家が継ぐが、病弱の為に隠居して家督を高房に譲る。以後幼少の高房に代わり鍋島直茂とその子勝茂が実権を握り、村中城は徐々に拡大され、後の佐賀城の土台となった。
佐賀県庁付近 佐賀西高西側・水堀 佐賀城公園(県立美術館・博物館)

参考文献 「歴史群像シリーズ 学研」
             「長崎・佐賀の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2011年9月