妙福寺上の砦

妙福寺上の砦みょうふくじうえのとりで
岡山県津山市中北上
Mapion

--砦跡--
別名    
交通 各線「津山駅」からバス「岩屋谷口」下車。
妙福寺境内、稲荷堂横から道があります。
築城年代 1584年(天正12)
築城者 花房職秀
形式 山城
主な城主 花房職秀
1582年(天正10)高松城合戦後、毛利氏と羽柴秀吉との間で和議が成立すると、備中高梁川以東は宇喜多氏領となるが、美作の毛利方諸勢力は従わなかった為、宇喜多氏は花房職秀を総大将として武力接収を行い、1584年(天正12)岩屋城を攻めた。その際築かれた陣城群の一つで、妙福寺上の砦は本陣として職秀が指揮を執った所という。
攻防は数ヶ月に及ぶが、当時備後の鞆に居た前将軍足利義昭の調停により和睦すると、岩屋城を始めとする毛利氏方の城はすべて開城となった。
妙福寺裏山が砦跡 堀切 砦跡から北方、岩屋城遠望
土塁跡
上が主郭と思われるが、
藪になっている
北側郭跡
土塁に囲まれている
岩屋城馬場跡から見る砦跡

参考文献 「現地案内板」
                    「広島・岡山の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年3月