神奈川県横須賀市長井6丁目 --城山南側-- |
別名 | |
交通 | 京急久里浜線「三崎口駅」からバス「荒崎」下車。 バス停から徒歩10分。 |
築城年代 | 鎌倉時代 |
築城者 | 三浦義澄か |
形式 | 山城 |
主な城主 | 三浦氏 |
荒崎公園内にある「潮騒の丘」は、三方を海に囲まれ、東は「どんどんびき」と称される入り江が食込み、唯一馬背状の頸部で陸地と繋がる小高い岩山であり、「城山」と呼ばれている。平安時代末期、この付近には三浦義明の5男義季が館を構え、長井氏を称したとされるが、この「城山」は義季の城という伝承は無く、義明の2男で三浦氏を継いだ義澄の城と伝えられる。 1247年(宝治1)宝治合戦で三浦氏が滅ぶと、佐原城主盛時は北条氏に従った為、三浦介を継いで三浦半島南部を領し、新井城を拠点とするが、この地には盛時の弟光盛の子孫が居住したとの伝承も残されている。 非常に小規模で、山頂の小さな平場や僅かな土塁が確認出来るだけだが、元々三浦氏一族で三浦半島のほぼ全域を支配していた時代、半島南部は開発が主な目的で、外敵は北部からと限られていた事から大規模な要害は設けられなかったと考えられているようである。この城山は小規模な戦闘における詰城で、平時は「城山」・「荒崎山」・「中の台」に囲まれた低地に館を構えていたと推定され、「城山」南東にある十文字洞は食糧庫と伝えられる。 |
城山北側 | 東側「どんどんびき」と呼ばれる入り江 | 城山と陸地を結ぶ頸部 |
土橋状になっている | 山頂部 | 城山西側 |