岐阜県不破郡垂井町 --屋敷碑-- |
別名 | |
交通 | JR東海道本線「岐阜駅」から徒歩25分。 |
築城年代 | 鎌倉時代か |
築城者 | 長屋氏 |
形式 | 屋敷 |
主な城主 | 長屋氏 |
1221年(承久3)承久の乱後、鎌倉権五郎景政7代の孫である長屋景頼が相模から垂井に来住し、景興まで代々続いた。相模国長江から今須に移った長江氏とは同族にあたる。 1353年(文和2)6月13日、北朝の後光厳天皇は南朝方に京を奪われ、足利義詮らと共に垂井へ逃れ、一時長屋氏屋敷を仮御所とする。間も無く南朝方が迫るとの報を受け、美濃国守護土岐頼康を頼り、揖斐小島頓宮へ移るが、8月25日、足利尊氏の西上を聞き、頼康の造営した垂井頓宮に戻った。9月3日、垂井に着陣した尊氏は後光厳天皇に拝謁すると長屋氏屋敷に滞在している。この間尊氏は病に掛かるが、17日京に出立した。 1532〜55年(天文年間)初期、長屋景興の時、相羽城に移った。 垂井城址の北西、民家脇に碑・案内板が立つ。 |