高知県四万十市中村 --四万十川対岸から城址遠望-- |
別名 | 為松城 |
交通 | くろしお宿毛線「中村駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | |
築城者 | |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 一条兼定・吉良親貞 |
一条氏は鎌倉時代中期、摂関家である九条道家の4男実経が分家独立した事に始まり、その際この幡多郡にあった荘園を九条家より譲られた。 1467年(応仁1)応仁の乱が起こると、一条家の室町の第は焼失し、翌年一条教房とその一族は京都の戦乱を避けて、この地に逃れてきた。そしてこの中村古城を修築して居城とし、16世紀中頃には土佐半国を領土とする戦国大名に成長した。 しかし1574年(天正2)一条氏5代兼定は長宗我部元親に追われ、中村城には元親の弟吉良親貞が城代として置かれる。翌年中村奪還の為、兼定は栗本城に進出するが、渡川合戦に敗れ、一条氏は滅亡した。 1601年(慶長6)長宗我部氏に代わって山内一豊が土佐へ入国した後も中村城は土佐西部の支配拠点であったが、その後元和の一国一城令により廃城となった。 現在城址は公園となり、大きく改変されているが、土塁や山内氏時代のものと思われる石垣が残されている。 |
山内氏時代のものと思われる石垣 | 城址に建つ資料館 | 土塁 |
為松城堀切跡 | 為松城 | 西側を流れる四万十川 |