直谷城

直谷城なおやじょう
長崎県佐世保市吉井町直谷
Mapion
城址入口地図

--内側から見る二の木戸跡--
別名 内裏山城
交通 松浦西九州線「潜竜ヶ滝駅」から徒歩25分。
地図の地点、吉井北小学校裏手に入口があります。
築城年代 1243〜47年(寛元年間)
築城者 志佐貞
形式 山城
主な城主 志佐純元
源久(松浦久)の孫松浦清の次男である貞を初代とする志佐氏居城跡。
松浦氏の勢力拡大の動きの中で、貞も志佐一帯に勢力を伸ばし、この直谷城を築いたと推定される。
その後も志佐氏は元寇や南北朝争乱に活躍し、7代重、8代義の頃には南シナ海を舞台に朝鮮国や琉球国と活発に海上貿易を行う等、繁栄するが、1492年〜1501年(明応年間)志佐純勝は大村・龍造寺氏の連合軍に攻められ、五島に追われると、一時直谷城は無主になった。1491年(延徳2)平戸の松浦弘定と田平の峰昌との間で起きた平戸・田平合戦後、大内氏の斡旋により和睦が成立し、昌は田平を弘定に譲ると、無主であったこの直谷城に入り、志佐家を相続して志佐純本と名乗るようになった。
1625年(寛永2)志佐純昌は志佐から御厨へ移封され、貞以来四世紀に及ぶ直谷城の歴史は終わった。
別名内裏山城ともいわれ、1185年(寿永4)壇ノ浦合戦で入水したとされる安徳天皇だが、この地に逃れ数年暮らしたという伝承が残り、「朕の淵」や「お手水川」等、安徳天皇に由来すると思われる地名も残されている。
一の堀 内側から見る大手連続空堀 井戸跡
二の木戸に見られる石積み 二の丸 本丸に立つ城址碑
本丸 搦手門跡 搦手・竪堀

参考文献 「現地案内板」
                    「長崎・佐賀の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年1月