祢津城

祢津城ねづじょう
長野県東御市祢津
Mapion
登山口地図

--二の丸北横堀--
別名 禰津城・(上の城・下の城)
交通 上信越自動車道「東部湯の丸IC」から登山口まで車で10分。
築城年代  
築城者  
形式 山城
主な城主 禰津氏
禰津氏は滋野氏の子孫、海野幸恒の次子直家、又は道直が禰津氏を称した事に始まるとされる。
1541年(天文10)5月、諏訪頼重・武田信虎・村上義清ら連合軍が海野平に攻めよせると、禰津元直は諏訪神社神氏の縁で諏訪頼重を頼って降伏し、以後武田氏配下として晴信の弟、信廉(逍遙軒)に属した。
1575年(天正3)元直は長篠合戦で討死し、1582年(天正10)武田氏が滅亡すると禰津昌綱は後北条氏に従い、真田昌幸と争っている。しかしその翌年頃、昌綱は昌幸に従い、以後同氏に重用された。
祢津城「下の城」から北の山頂には「上の城」があり上下二城で構成されている。
水の手か 二の丸切岸に残る石積み 二の丸
二の丸・本丸間堀切 本丸 本丸から南方の眺め

参考文献 「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
   「日本城郭全集 人物往来社」
   「信州の城と古戦場 令文社」
訪城回数 1
2008年3月