丹羽長秀屋敷

丹羽長秀屋敷にわながひでやしき
愛知県名古屋市西区児玉3丁目
Mapion

--丹羽長秀邸址碑--
別名      
交通 名古屋市営地下鉄鶴舞線「浄心駅」から徒歩10分。
築城年代      
築城者      
形式 屋敷
主な城主 丹羽長秀
丹羽長秀屋敷跡。
1535年(天文4)長秀は尾張春日井郡児玉で長政の次男として生まれる。
15歳で織田信長に出仕すると各地を転戦し、1571年(元亀2)佐和山城城主となった。
1582年(天正10)本能寺で信長が討たれると、織田信孝と共に四国攻めの準備をしていた長秀は同陣する明智光秀の女婿である津田信澄を討つと羽柴秀吉の下に参陣し、その後清洲会議でも秀吉を支持、以後秀吉に臣従する形となった。
1583年(天正11)賤ヶ岳合戦後、長秀は越前・加賀123万石を与えられた。秀吉が羽柴姓を名乗る時、長秀と勝家の姓から1字づつ取られた事が知られるが、この時秀吉から羽柴姓を与えられている。
1585年(天正13)4月、長秀は没し、子長重が跡を継いだ。

参考文献 「歴史群像シリーズ 学研」
訪城回数 1
2009年4月