岡山県岡山市北区庭瀬 --清山神社-- |
別名 | 芝揚城・庭瀬陣屋 |
交通 | JR山陽本線「庭瀬駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | 戦国時代 |
築城者 | 三村元親 |
形式 | 平城(沼城) |
主な城主 | 戸川達安 |
戦国時代、備中松山城主三村元親が備前の守りとして築いたとされる。 1600年(慶長5)宇喜多秀家重臣であった戸川達安は宇喜多家を離れると、関ヶ原合戦で東軍に従い戦功を挙げ、2万9千石を与えられてこの地に入部した。この時庭瀬藩陣屋として改築され、城下町が整えられるが、西の「古城」と呼ばれていた撫川城も城域に取り込まれ、現在見られるこの庭瀬城は、庭瀬藩陣屋として発達したものという。 以後藩主戸川氏は4代続き、1679年(延宝7)安風の時に跡継ぎが無く改易となるが、家名存続の為、弟達富が5千石を与えられて旗本に列せられた。達富は撫川知行所を設け、その後妹尾・早島・帯江・中庄と分立し、これら5ヶ所の戸川一族の知行所が明治に至るまで続いている。 戸川氏改易後、一時天領となるが、その後久世氏・松平氏が入封し、1699年(元禄12)板倉氏が入ると、明治まで板倉氏が続いた。 |