宮崎県日南市飫肥10丁目 --大手門-- |
別名 | |
交通 | JR日南線「飫肥駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 1346〜70年(正平年間) |
築城者 | |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 伊東祐兵 |
飫肥城の創建について明らかではないが、元々この地は「飫肥院」の跡と伝えられ、院庁跡を利用して築かれたと考えられる。 1458年(長禄2)日向国守護島津氏9代忠国は、都於郡城主伊東祐国の侵攻に備え、新納忠続を志布志城から飫肥城に入城させた。 その後島津氏と伊東氏は一時和睦すると、帖佐から島津忠廉が飫肥城へ入城し、豊州島津氏居城となる。しかし1568年(永禄11)5代忠親の時、伊東義祐に攻め落とされ、伊東祐兵が城主となった。 1572年(元亀3)木崎原合戦後、衰退の一途をたどる伊東義祐が豊後国大友氏の下へ逃れると、日向国全土は島津氏が治めるところとなり、飫肥も再び島津氏が領有した。 1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐の後、飫肥は伊東氏に与えられ、以来飫肥城は約300年間伊東家飫肥藩の居城として栄えた。 1684年(貞享1)伊東祐実の時、飫肥城は大地震で大破した為に大改築が行われ、石垣が築かれ、本丸は東下、現在の飫肥小学校敷地に移されている。今日見られる飫肥城は主にこの大改修された時のものという。 |
大手門堀 | 内側から見る大手門・桝形虎口 | 犬馬場跡 |
犬馬場跡土塁 | 中の丸門跡 | 西門跡・石段 |
西門跡・虎口 | 歴史資料館 | 本丸跡 |
旧本丸へ続く石段 | 旧本丸枡形虎口 | 旧本丸跡 |
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