鹿児島県志布志市志布志町帖 城址入口地図 --本丸西空堀-- |
別名 | 内城 |
交通 | JR日南線「志布志駅」から城址入口まで徒歩20分。 |
築城年代 | |
築城者 | |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 楡井頼仲・新納時久・肝付兼続 |
志布志城は4つの山城(内城・松尾城・高城・新城)で構成され、その内この内城は中心的な役割を果たしていたと思われる。 築城者・年代は不明。1336年(建武3)志布志城の肝付兼重が重久篤兼に攻められたという記録が史料上の初見だが、この「志布志城」は最も早く築城されたといわれる松尾城を指すと考えられている。その後南朝方に属す楡井氏が拠点とし、高山城主肝付氏と共に北朝方の島津氏や畠山氏と対立した。1351年(正平6)志布志城は畠山直顕に攻め落とされ、敗れた楡井頼仲は肝付氏を頼って高山城に逃れ、弓張城に居城したといわれる。 その後新納実久が島津氏久の援護を受けて畠山氏を撃退し、以後新納氏は志布志を本拠として約180年の長期に渡り志布志を治めている。1458年(長禄2)島津忠国は日向国伊東氏への備えとして新納忠続に飫肥城を与えて守らせた為、志布志城は弟の是久と忠明が守った。 その後も志布志城は新納氏・島津氏・肝付氏と諸豪族の争乱の舞台となり、興亡が繰り返されたが、1577年(天正5)島津領となり、鎌田出雲守政近が初代地頭となり、1615年(元和1)一国一城令により廃城となった。 シラス台地を豪快に掘って区画された曲輪群から成る南九州の典型的な城郭。城内は迷路のように入り組んでいるが、随所に案内板が設置されており、迷う事無く散策する事が出来る。大規模な遺構が良好に残されており、志布志麓と合わせ、見所が多い。 |
矢倉場下空堀 | 矢倉場 | 矢倉場に立つ新納時久墓所 |
矢倉場北東空堀 | 東竪掘 | 中野久尾(南) |
中野久尾(北)虎口 | 中野久尾(北) | 本丸 |
本丸南曲輪 | 本丸下段 | 本丸下段・土塁 |
本丸西空堀 | 南麓・志布志小学校、裏山が城址 居館跡とされ、 後に地頭仮屋が設けられた |
肝付兼続墓所 |