女淵城

女淵城おなぶちじょう
群馬県前橋市粕川町女渕
Mapion

--本丸に立つ碑--
別名     
交通 上毛電鉄上毛線「新屋駅」から徒歩15分。
築城年代 1532〜1555年(天文年間)
築城者     
形式 平城
主な城主 矢場氏
築城者、年代について明らかではなく、戦国時代から歴史上に現れる。
1559年(永禄2)上杉謙信に攻略され、館林城代毛呂因幡守秀忠に与えられたが、1561年(永禄4)秀忠は謙信に背いた為に滅ぼされ、長尾顕長が館林城主となると、女淵城には荒井図書が置かれた。
その後女淵城は、金山城主由良氏が支配し、由良氏一族の矢場氏が城主となり、城代は女婿沼田平八郎景義が務めた。この平八郎景義は沼田城主であった沼田顕泰の子で、沼田没落後この地に身を寄せていたが、1581年(天正9)由良氏や矢場氏の援助を受けて沼田城奪還を目論み、謀殺されている。
その後女淵城は後北条氏の支配下に入り、北爪氏らが守ったが、1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの後、豊臣方に攻められ廃城となる。
三の丸(御霊曲輪)に建つ御霊神社
西側に土塁が残る
堀跡である西宿沼 本丸
本丸北堀 北曲輪堀 西曲輪堀

参考文献 「群馬の古城 あかぎ出版」
                 「群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会」
                「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年1月