大平城

大平城おおひらじょう
静岡県沼津市大平
Mapion
円教寺地図

--北東から城址遠望--
別名 富南城・柾戸の砦・大平新城
交通 伊豆箱根鉄道駿豆線「伊豆仁田駅」から徒歩40分。
円教寺裏に登山口があります。
築城年代 1186年(文治2)
築城者 北条時政・(源頼朝)
形式 平山城
主な城主 遠山民部・新城新三郎
1182年(寿永1)北条時政が伊豆に戻り、一円を勢力化に治めた際、国境であるこの地に関を置いた事が起源という。
1186年(文治2)源義経追捕の為、各地の警備が強化されると大平の関も拡大された。この時初代城主に遠山民部が配され、富南城と名付けられた。
以後城主は目まぐるしく変わり、およそ100年城主不在の時期もあったが、1323年(元亨3)鎌倉幕府の命により修築されると、小河原兵衛・田中軍蔵が留守居役を努め、翌年北条右衛門太夫が城主となった。
1371年(応安4)北条右衛門太夫が病死すると、その子茂右衛門太夫が跡を継ぐが、茂右衛門太夫没後は再び城主・留守居役不在となり、城は荒廃したという。
戦国時代に入ると戸倉城韮山城の繋ぎの城として後北条氏により取り立てられる。
1580年(天正8)新城新三郎が入城し、翌年には北条氏堯の居城となって武田氏の伊豆侵攻に備えた。この頃新三郎により城の修築が行われている。
1588年(天正16)廃城となり、城詰の浪人7、8人は帰農した。
城址碑 円教寺裏・出丸 曲輪跡

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年9月