戸倉城

戸倉城とくらじょう
静岡県駿東郡清水町徳倉
Mapion

--南東から城址遠望--
別名 徳倉城
交通 JR東海道本線「三島駅」からバス「下徳倉」下車。
龍泉寺まで徒歩10分。龍泉寺墓地裏に登山口があります。
築城年代 戦国時代
築城者 北条氏綱
形式 山城
主な城主 北条氏堯・笠原政尭
築城者・年代については諸説あるが、戦国時代、北条氏綱により築かれたといわれ、駿豆境目の城として後北条氏支城の一つであった。
1569年(永禄12)北条氏堯が入城し、武田方三枚橋城、その他に対する最前線の役割を担った。
しかし1581年(天正9)氏堯の家臣笠原新六郎政尭が三枚橋城高坂源五郎の誘降にかかり、11月これに乗じて武田勝頼は戸倉城を攻めたので、氏堯は退去し、武田氏の持城となった。
1582年(天正10)武田氏の滅亡と共に戸倉城は再び後北条氏のものとなり、1590年(天正18)小田原城開城と共に廃城となった。
本丸は太平洋戦争中に高射砲が構築された為に改変され、またその他の遺構部分は散策コースから外れ、藪が酷くはっきりしない。
居館跡とされる龍泉寺 本丸 本丸からの眺め、中央は泉頭城
両城は柿田川を使い
舟で連絡していた

参考文献 「現地案内板」
                「日本城郭全集 人物往来社」
                       「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年9月