埼玉県川越市下広谷 --南堀-- |
別名 | 大堀山城 |
交通 | 東武東上線「若葉駅」から徒歩35分。 |
築城年代 | 室町時代か |
築城者 | |
形式 | 平山城 |
主な城主 |
「新編武蔵国風土記稿」の下広谷村の項に記されている「古跡三ヶ所」の一つに該当すると考えられる。築城者・年代共に不明だが、東側は鎌倉街道、西側は北武蔵から川越へ向かう主要道が通る事から2つのルートが交わる要衝を押さえる役割を担って築かれたと推定され、1368年(応安1)河越氏や高坂氏らが河越館に籠もり、鎌倉公方に反旗を翻した「平一揆」、また1504年(永正1)山内上杉氏・古河公方足利政氏が川越城主扇谷上杉氏を攻めた際にも利用されたものと考えられる。 標高20メートルの台地上、通称「大堀山」が館址。南北220メートル、東西180メートル程の規模で、主郭、帯郭状の二郭、その北側の三郭から成り、二重三重の土塁や空堀が良く残されている。また下広谷地区には他にいくつかの館跡が残されており、大堀山館の西150メートルには広谷北城、東150メートルには広谷宮前館があるが、これらは同時期に利用された連続する遺構となる可能性も考えられている。 |
東から遠望 | 南入口に立つ案内板 | 主郭東空堀 |
主郭東北隅に建つ神明社 | 主郭北東空堀 | 土塁 |