大島屋敷

大島屋敷おおしまやしき
神奈川県海老名市中新田1丁目
Mapion

--大島記念公園--
別名 大島豊後守正時屋敷
交通 各線「厚木駅」から徒歩15分。
築城年代 室町時代
築城者 大島豊後守正時
形式 屋敷
主な城主 大島氏
1438年(永享10)永享の乱の際、相模川中流、沿岸平野部に勢力を誇った海老名館主海老名氏一族は鎌倉公方足利持氏に従い、幕府追討軍を相模早川尻に迎え撃つが、この時安房国里見氏の武将大島義金が持氏方援軍として来援した。これが縁となり、義金の子正時は海老名一族の兵衛尉広治の娘を娶ると、広治病没後もこの地に留まり、跡を継いだとされ、その後大島氏は後北条氏や里見氏とも関係を持ち、江戸時代以降は旧家として代々続いたという。
字東屋敷が屋敷地とされる。一帯は宅地化されているが、一画は大島記念公園となり、大島家由来碑が立つ。また西200メートルの字西屋敷は江戸時代初期の地頭である高木氏屋敷があったと推定され、字名は新旧領主の屋敷地を東西に分けて呼んだものと考えられており、かつて東屋敷は元屋敷とも呼ばれていたのだという。

     参考文献 「現地案内板」
                            「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年11月