茨城県結城郡八千代町太田 --北西から城址遠望-- |
別名 | |
交通 | 関東鉄道常総線「下妻駅」から徒歩60分。 |
築城年代 | 1587年(天正15) |
築城者 | 赤松常範 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 多賀谷三経 |
1587年(天正15)下妻城主多賀谷重経が和歌城主赤松常範に命じ、築かせたとされる。 重経は佐竹義重の4男宣家を養子として家督を譲ると、重経嫡男である三経は太田城を本拠として結城秀康に従い、多賀谷家は分割された。 1601年(慶長6)秀康と共に越前国に転封されると、和歌・太田両城は廃城となった。 和歌城南東100メートルに位置し、龍昌院から愛宕神社一帯にかけて土塁や空堀が残されており、集落内にも一部遺構が確認出来る。 |
龍昌院西側 | 龍昌院 | 龍昌院東空堀 |
愛宕神社 |
愛宕神社境内に残る土塁 | 太田集落に残る堀跡 |