茨城県結城郡八千代町若 --城址-- |
別名 | |
交通 | 関東鉄道常総線「下妻駅」から徒歩60分。 |
築城年代 | |
築城者 | 和歌十郎 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 和歌氏・赤松氏 |
築城年代は不明だが、和歌十郎により築かれたとされ、1469〜86年(文明年間)下妻城主多賀谷氏の勢力が鬼怒川以西に及ぶと、その旗下に入った。 1504〜21年(永正年間)和歌十郎は後北条氏に通じた為、多賀谷家植は飯沼城主赤松民部に十郎討伐を命じ、以後和歌城は赤松氏が支配した。赤松氏は観応の擾乱に敗れ、下総国に逃れた播州赤松氏一族とみられる赤松祐弁の子孫で、八千代や周辺地域に土着した土豪とされる。 1587年(天正15)赤松常範は多賀谷重経の命により、南方台地上に太田城の築城を開始し、この頃重経嫡男である三経が一時和歌城に入城するが、1590年(天正18)太田城に移ると、再び赤松氏が城主となる。 1601年(慶長6)三経が結城秀康に従い、越前国に転封されると、和歌・太田両城は廃城となった。 土塁と空堀に囲まれた3つの曲輪から成り、北側に一部土塁が残されているが、大半が宅地・農地化により消滅している。本丸には赤松祐弁供養の為、16世紀に建立されたものと推定される五輪塔が残る。 |
北から城址遠望 | 城址北側 | 土塁 |
城址西側 | 五輪塔 | 南から城址遠望 |