大多喜城

大多喜城おおたきじょう
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜
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本丸に建つ模擬天守
県立中央博物館・大多喜城分館
別名 大滝城・大田喜城・舞鶴城
交通 いすみ鉄道「大多喜駅」から徒歩20分。
築城年代 1590年(天正18)
築城者 本多忠勝
形式 平山城
主な城主 松平氏
1590年(天正18)豊臣秀吉の小田原攻めにより後北条氏が滅び、徳川家康が関東に入ると、家康四天王の一人、本多忠勝は大多喜10万石を与えられる。忠勝は初め大多喜根古屋城に入城するが、根古屋城は近代戦にそぐわない事からこの地に大多喜城を築いた。
1601年(慶長6)忠勝が伊勢国桑名城へ移ると、代わって忠勝の子忠朝が入城し、その後城主は目まぐるしく変わり、松平氏の頃に明治を迎えた。
大多喜城の創建については、真里谷氏の築いた小多喜城に始まるとも考えられている。小多喜城の位置についても諸説あるが、西側の栗山に城郭遺構が残されており、有力な比定地となっているようである。
大手門跡 大多喜高校(二の丸跡) 大多喜高校(二の丸跡)に立つ薬医門
大多喜高校(二の丸跡)に残る大井戸 空堀 鐘撞堂
本丸 本丸土塁 復元された土塀

参考文献 「房総の古城址めぐり 有峰書店 」
      「余湖くんのホームページ HP」
          「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年11月