大多喜根古屋城

大多喜根古屋城おおたきねごやじょう
千葉県夷隅郡大多喜町泉水
Mapion

--城址碑--
別名 古大多喜城・小田喜根古屋城
交通 いすみ鉄道「大多喜駅」から徒歩20分。
築城年代 1521年(大永1)
築城者 武田信清
形式 平山城
主な城主 正木時堯
真里谷城武田氏と庁南城武田氏は共に後北条氏に従っていたが、1521年(大永1)真里谷城主武田信興は稲村城主里見義堯に備える為、2男信清にこの根古屋城を築かせた。
1544年(天文13)3代朝信が里見方の将正木氏と苅谷原で争い討死すると、代わって正木時綱の子時茂が入城し、憲時、時堯と3代続いた。
1590年(天正18)豊臣秀吉の小田原攻めにより後北条氏が滅び、徳川家康が関東に入ると、家康四天王の一人本多忠勝に攻められ落城した。根古屋城を追われた時堯は館山城主里見氏の下へ帰り、1614年(慶長19)里見忠義の改易に従い伯耆国倉吉へ移っている。その後大多喜10万石を与えられ、根古屋城に入城した忠勝は西南の地に大多喜城を築き、根古屋城は廃城になった。
大多喜城から北約1、5キロ、現在住宅が立ち並ぶ高台が城址だが、一画に碑が立つのみで遺構は見当たらない。
城址碑が立つ丘南側 南西から城址遠望

参考文献 「房総の古城址めぐり 有峰書店 」
          「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2012年11月