桑名城

桑名城くわなじょう
三重県桑名市吉之丸
Mapion

--本多忠勝像--
別名 旭城・扇城
交通 近鉄名古屋線「桑名駅」から徒歩15分。
築城年代 1601年(慶長6)
築城者 本多忠勝
形式 平城(水城)
主な城主 本多忠勝・本多忠政・松平(久松)氏・松平(奥平)氏
戦国時代、桑名には伊藤武左衛門実房の東城、樋口内蔵介親氏の西城、矢部右馬允主繁の三崎城の三つの城が存在し、この付近は東城が在った。1574年(天正2)織田信長の伊勢平定により、伊藤氏は降伏し、桑名は長島城に入城した滝川一益の所領となる。
1584年(天正12)羽柴秀吉と織田信雄が争った小牧長久手合戦の際、信雄に味方した徳川家康の家臣酒井忠次・石川数正が桑名城を守り、後に丹羽氏次が城主となる。
1591年(天正19)一柳直盛が入城し、一説にこの時桑名城が築かれたといわれる。1595年(文禄4)氏家行広が入城し、神戸城の天守閣が移されたとされる。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、西軍に従った行広は改易となり、翌年上総国大多喜城から本多忠勝が入城、本格的な築城が行われた。東城を中心に縄張りがされ、約10年を要して完成した。
1617年(元和3)忠勝の子忠政が播磨国姫路城へ移り、山城国伏見城から松平(久松)定勝が14万石で入城すると松平(久松)氏が5代、その後松平(奥平)氏7代続き続いた。そして1823年(文政6)忠堯が武蔵国忍城へ移ると、陸奥国白河城から松平(久松)定永が入城、再び松平(久松)氏が旧領に戻る事となり、明治に至るまで続いた。
東を流れる揖斐川
七里の渡し付近から
蟠龍櫓 三の丸西に残る石垣
本丸西水堀 本丸に建つ鎮国守国神社 天守台跡
神戸櫓跡 辰巳櫓跡 本丸南水堀

参考文献 「現地案内板」
                          「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2006年8月
2009年4月