1531年(享禄4) 武田信虎×甲斐国人衆 --大坪古戦場碑-- |
交通 | JR中央本線「韮崎駅」から徒歩5分。 |
1528年(享禄1)8月、武田信虎は諏訪氏に敗れ庇護していた下社大祝金刺昌春を擁し、諏訪に侵攻して先達城に入った。一方諏訪頼満・頼隆父子はシラザレ山に籠もり、両者は神戸・境川で激しく争い、その結果信虎は敗れ、甲斐へ引き上げた。 1531年(享禄4)1月、信虎が扇谷上杉朝興と結んだ事により、重臣飯富兵部・栗原兵庫・今井信元・大井信業らは連合し、御岳山中に入り諏訪氏の援助を得て、反旗を翻す。信虎は諏訪勢の侵入に備え、下社牢人衆に笹尾塁を築かせたが自落した。 しかし2月2日の合戦、及び3月12日この河原辺での合戦において大井氏・栗原氏らを破り、翌年9月獅子吼城に拠り最後の抵抗を続けていた今井信元を降伏させると、信虎の甲斐統一は果たされる事となった。 1535年(天文4)信虎は頼満と講和し、その後1539年(天文8)頼満の孫である頼重に3女禰々を嫁がせ、諏訪氏との関係をより密接なものとした。 |