静岡県浜松市北区細江町中川 --南東から城址遠望-- |
別名 | 阿黄山紫城・阿王山紫城 |
交通 | 天竜浜名湖線「気賀駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | |
築城者 | |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 菅沼氏 |
築城年代は不明だが、一説に今川氏の支城として天方越中守が居城していたと伝えられる。また今川義元の頃は新田美作入道が守っていたという。 1560年(永禄3)桶狭間合戦後、刑部城は堀川城と共に徳川家康の遠江侵攻に備え、庵原庄太郎忠良と長谷川次郎右衛門秀匡が守っていたが、1568年(永禄11)12月3日、徳川方菅沼新八郎定盈に攻められ落城、定盈家臣菅沼又左衛門が城主となり、また松下常慶が居たとも伝わる。 現在城址は竹薮となっており、確認出来なかったが、井戸跡が残るという。 |
南麓居館跡 正面が金山神社 |
堀切 | 大手口 |
虎口 | 金襴の池跡 落城時、姫が身投げしたという 悲話が残る |
北麓を流れる小川 |