新潟県上越市五智1丁目 --館址碑-- |
別名 | 上杉憲政館 |
交通 | JR信越本線「直江津駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 1555〜58年(弘治年間) |
築城者 | 長尾景虎(上杉謙信) |
形式 | 館城 |
主な城主 | 上杉憲政・上杉景虎 |
1552年(天文21)北条氏康に上野国平井城を追われた関東管領上杉憲政は、長尾景虎(上杉謙信)を頼り越後へ入った。この時景虎はこの館を築造し、以後憲政の館と同時に政庁としても使用された。 1578年(天正6)上杉謙信没後、2人の養子である上杉景勝と上杉景虎が跡目を争うと、御館は景虎の拠点となるが、翌年春日山城を拠点とする景勝に攻められ落城した。景虎は実家である小田原を目指して敗走し、その途中鮫ヶ尾城に入るが、城主堀江宗親に叛かれ自害した。「御館の乱」 2年にわたり、越後国を二分したこの乱で府中の町6千軒が焼けたと伝えられ、安国寺・至徳寺等の名刹も灰燼と化した。また景虎方に付いた憲政も混乱の中、討たれたとも自害したともされる。 館址は御館公園・住宅地となり、公園入口に碑が立つのみとなっている。 |