鮫ヶ尾城

鮫ヶ尾城さめがおじょう
新潟県妙高市宮内
Mapion
城址登山口地図

--本丸--
別名 宮内古城
交通 JR信越本線「北新井駅」から登山口まで徒歩30分。
地図の地点、東麓から登山道があります。他にも複数ルートが
あるようです。
築城年代 戦国時代
築城者 上杉謙信か
形式 山城
主な城主 堀江宗親
築城年代は不明だが、1558〜70年(永禄年間)頃、 甲斐国武田信玄の信濃・越後国境への侵攻に備え、飯山城等と共に築城され、春日山城の南方を守る支城となったと考えられるが、それより以前古くから豪族の要害が在ったとも思われ、明らかではない。
1578年(天正6)上杉謙信が亡くなった後、上杉景勝と上杉三郎景虎が跡目を争った御館の乱が起こると、その翌年敗れた景虎は小田原を目指し、鮫ヶ尾城に入るが、城主堀江宗親が景勝に転じた為、城内で自刃した。
1598年(慶長3)景勝の会津移封に伴い、鮫ヶ尾城は廃城になったものと思われる。
本丸を中心に南、東の尾根に設けられた曲輪群の3地区に分けられ、それぞれ規模の大きい堀切が残されている。また本丸から堀切を挟み北にある米蔵跡では、御館の乱で落城した際、兵糧米が焼けたものと伝わる焼米が現在も出土するという。
東尾根堀切 東一ノ丸・堀切 本丸東下堀切
本丸東下竪堀 二の丸 三の丸
井戸跡 井戸郭虎口 本丸東下腰曲輪
本丸 本丸に立つ城址碑 本丸から見る米蔵
本丸・米蔵間堀切 米蔵 東から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                        「新潟・富山・石川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年4月