妻女山陣場

妻女山陣場さいじょさんじんば
長野県長野市松代町岩野
Mapion

--妻女山展望台--
別名             
交通 しなの鉄道「屋代駅」からバス「岩野」下車。
築城年代 1561年(永禄4)
築城者 上杉謙信
形式 陣城
主な城主 上杉謙信
1561年(永禄4)第四回川中島合戦の際、上杉謙信率いる1万3千が布陣したとされる。海津城を本陣とする武田信玄は妻女山背後から別働隊1万2千で奇襲し、謙信を川中島に追い落とした所を八幡原に布陣した本隊8千で攻撃するという山本勘助の献策「啄木鳥戦法」を採用した。しかし謙信は海津城から昇る炊煙を見て信玄の奇襲を察知すると、密かに妻女山を下り、雨宮の渡しで千曲川を渡って八幡原へ進出、両軍は激突した。
現在妻女山は松代招魂社が建ち、展望台が設けられている。すぐ下には陣用水の一つという上杉謙信槍尻の泉があり、麓の会津比売神社境内には謙信鞍掛の松跡がある。招魂社付近には土塁の痕跡が見られるが、これは当時のものではないようである。またこの地は往時赤坂山といい、本来の妻女山は南西にある斎場山であったともいわれており、付近には床机塚・陣場平・千人窪という地名が残されている。
上杉謙信槍尻の泉 松代招魂社 斎場山

参考文献 「戦国武田の城 有峰書店新社」
       「信濃の山城と館  戎光祥出版」
                  「信州・風林火山 川中島の戦い 特設サイト HP」
訪城回数 1
2015年3月