海津城

海津城かいづじょう
長野県長野市松代町松代
Mapion

--橋詰門・太鼓門--
別名 待城・松城・松代城
交通 各線「長野駅」からバス「松代駅」下車。
築城年代 1558〜70年(永禄年間)
築城者 武田信玄
形式 平城
主な城主 高坂昌信・森長可・田丸直昌・真田信之
甲陽軍艦」によると、1553年(天文22)武田信玄が川中島掌握の為、山本勘助に命じ、この地にあった清野氏の館を改修して築いたとされる。しかし1558年(弘治4)の時点で海津城の名はみえず、正確な築城年代については不明。
1582年(天正10)武田氏滅亡後、織田信長家臣である美濃国金山城主森長可が信濃4郡を加増されて入城した。しかし6月、本能寺の変が起こり、長可が美濃国へ撤退すると、代わって上杉景勝が海津城を占拠し、義父である謙信の悲願であった川中島一帯を上杉領へ取り組む事に成功する。
1598年(慶長3年)景勝が会津へ移ると、この地は豊臣秀吉の蔵入地となり、田丸直昌が入城して更級・埴科・高井三郡を支配した。
1600年(慶長5年)田丸氏に代わり、美濃国金山城主森忠政が13万7500石で入城するが、1603年(慶長8)美作国津山城へ移ると、この地は徳川家康6男である松平忠輝が支配し、花井吉成が城代となる。
その後松平忠昌、酒井忠勝が入り、1622年(元和8)上田から真田信之が入部すると、以降真田氏の居城として明治に至るまで続いた。
二の丸馬出・三日月堀跡 二の丸南門跡 二の丸南門跡土塁
橋詰門・太鼓門 本丸内堀 太鼓門
内側から見る北不明門 北不明門 本丸北西隅櫓台石垣
井戸跡 埋門 北土塁
新堀 石場門跡 外堀跡

参考文献 「現地案内板」
           「日本の城 小学館」
                    「長野・山梨の城郭 新人物往来社」       
訪城回数 4
2006年11・12月
2008年10月
2015年3月