香川県高松市鬼無町佐料 --案内板-- |
別名 | 讃綾の館 |
交通 | JR予讃線「鬼無駅」から徒歩20分。 |
築城年代 | 1219〜22年(承久年間) |
築城者 | 香西資村 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 香西氏 |
笠居郷(鬼無・香西・下笠居)を本拠とする香西氏居城跡。 1219〜22年(承久年間)承久の乱において幕府方として活躍した讃岐藤原氏後裔という香西氏初代資村が、讃岐藤原氏63家の頭領として勝賀城を築いた時、平時の居館として佐料城が築かれたとされる。以後1577年(天正5)18代佳清が藤尾城を築いて移るまで代々香西氏居城として栄えた。室町時代、香西氏は管領細川氏に従い、天霧城主香川氏・聖通寺城主奈良氏・雨霧城主安富氏と共に細川四天王と称される程の勢力を誇ったが、15代元定の頃、細川政元が亡くなると、細川氏内紛もあり、周防国大内義興に従うようになった。大内氏の下、香西氏は海上警護を任され、朝鮮や明との交易で利益を得る等、更に勢力を伸ばすが、18代佳清の時、土佐国長宗我部元親の侵攻を受けるとその配下となり、1585年(天正13)豊臣秀吉による四国征伐後、佳清は下野し、佐料城は廃城となった。 案内板が立つ佐料公会堂一帯が城址とされる。付近は宅地化されているが、堀跡や「城の台」・「馬場の谷」・「城の新屋」等の地名や屋号が残されている。 |
興津神社 | 勝賀城から見る佐料城 |