里見城

里見城さとみじょう
群馬県高崎市下里見町
Mapion

--主郭--
別名     
交通 各線「高崎駅」からバス「下里見」下車。
築城年代 平安時代末期
築城者 里見義俊
形式 丘城
主な城主 里見氏
平安時代末期、新田氏所領である里見郷に居を定めた新田義重の子義俊により築かれたとされる。およそ290年間、里見氏代々の居城として続いたが、1441年(嘉吉1)里見家基が結城合戦で討死すると、その子義実は安房国へ逃れ、房総里見氏の祖となったといわれる。しかし里見氏の出自については諸説あり、不明な点も多い。
1558〜70年(永禄年間)鷹留城の支城として改修され、里見河内守が在城していたが、武田勢の侵攻により落城したと伝わる。
烏川右岸、堀で独立させた台地先端部が城址で東・南に土塁が残されている。東側、字古城も郭跡と考えられるが畑となり、遺構は見当たらない。北東には鬼門除けとして祀られたという城山稲荷が建つ。
東側、字古城 主郭東堀切 主郭虎口
主郭南土塁 城址北東に建つ城山稲荷 城山稲荷から北側の眺め

参考文献   「信濃をめぐる境目の山城と館 上野編 戎光祥出版」
訪城回数 1
2019年3月