鷹留城

鷹留城たかとめじょう
群馬県高崎市下室田町
Mapion

--搦手堀切・土橋--
別名 亀城
交通 各線「高崎駅」からバス「下室田小学校前」下車。
バス停から徒歩20分。
築城年代 1492〜1500年(明応年間)
築城者 長野業尚
形式 山城
主な城主 長野氏
1492〜1500年(明応年間)長野業尚により築かれ、その後箕輪城が築かれると箕輪城西方を守る有力支城の一つとなった。
1566年(永禄9)武田信玄率いる2万の軍勢は西上野侵攻を開始、高浜の砦を落とし、箕輪・鷹留間を分断すると、主力は若田原へ向かう一方、馬場信房・山県昌景らは鷹留城を攻めた。城将長野業通は弟業勝・業固と共に防戦するが、業勝は討死し、鷹留城は落城、業通らは吾妻に逃れたという。同年9月25日、若田原で長野勢を破った武田勢主力は箕輪城に迫り、29日箕輪城を攻略、長野業盛以下一族郎党は自刃して果て、長野氏は滅亡した。
尾根の中心線に五つの曲輪が並ぶ連郭式山城で曲輪間に大規模な堀切が設けられ、東側にはいくつもの腰曲輪が築かれている。また南東麓に建つ長年寺は長野氏菩提寺で境内に長野氏塁代の墓がある。
搦手堀切・土橋 搦手堀切 本丸北曲輪
本丸北堀切 武者溜り 武者溜り土塁
本丸東下曲輪 本丸 本丸に立つ慰霊碑
本丸東下曲輪に残る石積み 本丸・二の丸間堀切 二の丸
二の丸西下竪堀(虎口) 二の丸・三の丸間堀切 三の丸

参考文献   「群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会」
        「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年3月