神奈川県横浜市鶴見区東寺尾1丁目 --松蔭寺・義高入道尊-- |
別名 | |
交通 | JR横浜線「大口駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 江戸時代 |
築城者 | 里見義高 |
形式 | 館 |
主な城主 | 里見義高 |
「新編武蔵国風土記稿」によると西寺尾村に里見入道義高の遺構と墓が在ったという。 安房国里見氏一族である義高(忠重)は江戸時代初期、上野国板鼻において1万石を与えられたが、1613年(慶長18)不奉公の罪で改易となった。その後家臣と共にこの地に隠棲して出家し、駒形慈眼観音を深く信仰した。後に入定した義高の祠は現在松蔭寺に在り、毎年5月3日に供養祭が営まれている。 館跡の所在地は不明で、一説に生麦貝助台の地とも伝わるが、西寺尾2丁目に里見入道義高史蹟の地碑が立てられている。また西寺尾4丁目に建つ駒形天満宮は義高の随臣である平田兵庫が1729年(享保10)氏神として建てた天神社に後に駒形社を合祀した社という。 |
松蔭寺 | 里見入道義高史蹟の地碑 |
駒形天満宮 |