1333年(元弘3)5月16日 新田義貞×北条泰家 --古戦場跡-- |
交通 | 京王線「聖蹟桜ヶ丘駅」から徒歩15分。 |
1333年(元弘3)5月8日、上野国に挙兵した新田義貞は鎌倉を目指し南下、11日小手指原で鎌倉から北上してきた長崎高重・桜田貞国率いる幕府軍を破り、12日久米川合戦も勝利する。 15日分倍河原に陣した北条泰家勢は義貞を迎撃し、敗れた新田勢は堀兼方面に退くが、16日未明、再び北条勢と交戦し、敗走した幕府軍はこの地で防衛する。しかし足利(高氏)尊氏により六波羅探題が壊滅したとの報を受けた幕府軍は泰家の制止を振り切り潰走したという。 18日鎌倉に迫った義貞は攻撃を開始し、22日鎌倉を制圧、14代執権北条高時一族は自刃し、鎌倉幕府は滅亡した。 |
北条方横溝八郎墓とされる塚 | 横溝八郎碑 | 霞ノ関南木戸柵跡(熊野神社) 鎌倉街道に設けられた木柵の関所跡 |