瀬沢古戦場

瀬沢古戦場
長野県諏訪郡富士見町落合字瀬沢

1542年(天文11)
武田晴信×小笠原・諏訪・村上・木曽氏
Mapion

--20号線沿いに立つ古戦場碑--
交通 中央自動車道「小淵沢」ICから車で30分。
1541年(天文10)6月、武田晴信は父信虎を駿府に追い、家督の座につく。
1542年(天文11)3月、小笠原長時・諏訪頼重ら信濃の豪族は連合し、甲信境の瀬沢に陣取った。これに対し晴信は密かに軍勢を発し、9日朝、信濃勢の不意をつき、信濃方1621を討ち取り、未の刻(午後2時)頃、戦いは終わったとされる。
6月、晴信は高遠頼継と結んで諏訪侵攻を開始した。頼重は上原城を捨て、支城である桑原城に籠もるが、講和が成立し、甲府に送られた。その後7月21日、頼重は切腹させられ、諏訪惣領家は滅亡した。
瀬沢合戦については史料が乏しく、晴信の諏訪侵攻を正当化する為に創作されたものとも考えられ、存在を疑問視する説もいわれる。

参考文献 「現地案内板」
2006年10月