長野県佐久市志賀 --主郭石積み-- |
別名 | |
交通 | JR小海線「北中込駅」から登山口まで徒歩50分。 雲興寺を右に周りこみ墓地背後に登山口があります。 |
築城年代 | 戦国時代 |
築城者 | 笠原氏 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 笠原氏 |
1546年(天文15)武田氏の佐久侵攻が本格化し、内山城も武田の大軍を前に攻略され、南佐久に勢力を持つ大井氏は武田氏に従う意を見せるが、北佐久に大きな勢力を誇る笠原新三郎清繁は志賀城に籠もり徹底抗戦の構えを見せる。 1547年(天文16)7〜8月、武田氏は笠原氏の籠もる志賀城を攻め、押し寄せる武田軍に対し城主笠原清繁は、上野国平井城主山内上杉憲政に援軍を要請し、憲政は3千の兵を後詰に送った。武田軍はこれを迎え撃つべく2千の兵を志賀城包囲に残し、5千の兵を向かわせ、8月6日小田井原で両軍は争い、武田軍の圧勝に終わる。武田氏は小田井原で討ち取った首を志賀城下に並べて城兵を威嚇し、士気の下がった城兵は城外に討って出、皆討ち取られた。武田軍は城内に残った女、子供も皆生け捕って甲府に送り、2貫文〜10貫文で売ったといい、志賀城の合戦は、他の信濃諸城への見せしめ的な意味を持たせた戦いであった。 |
二郭堀切 | 矢竹が生い茂る主郭 | 主郭東堀切 |
城址東は断崖になっている | 南麓遠望 | 南西から城址遠望 |