篠脇城

篠脇城しのわきじょう
岐阜県郡上市大和町牧
Mapion
東氏館跡地図
--東斜面畝状竪堀群--
別名 郡上城
交通 長良川鉄道越美南線「徳永駅」から東氏館跡まで徒歩30分。
築城年代 鎌倉時代末期
築城者 東氏村
形式 山城
主な城主 東常縁・東常慶
鎌倉時代末期、阿千葉城からこの地に移った東氏村が麓に居館を構えた際、詰城としてこの篠脇城が築かれたと考えられ、以後常慶まで8代二百数十年余り東氏居城となる。
1455年(康正1)関東での千葉宗家内乱を知った東常緑は将軍足利義政の命を受けて東下するが、1468年(応仁2)留守中に美濃守護代斎藤妙椿に攻められ落城した。しかしこの悲しみを詠んだ常緑の歌に感じ入った妙椿は奪った所領を返したという。
1540年(天文9)8月、越前国朝倉氏に攻められると、常慶は撃退したが、城下は荒れ果て、守るに適さないとして、翌年東殿山城を築いて移った。
北麓の東氏館跡から登山道があり、20分程で城址。本丸・二の丸と南側の出丸から成り、この城の最も特徴的である畝状竪堀群が本丸をほぼ全周しており、良く残されている。
登山道途中から見る妙見集落 畝状竪堀の一つを見上げる 本丸南堀切
本丸・出丸間二重堀切 二の丸 本丸
本丸に立つ篠脇霊魂堂 本丸南土塁 本丸西畝状竪堀群
井戸跡 本丸北竪堀 北麓居館跡から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年4月