静間館

静間館しずまやかた
長野県飯山市大字静間
Mapion

--静間神社--
別名       
交通 JR飯山線「飯山駅」から徒歩30分。
築城年代 平安時代
築城者 静間氏
形式
主な城主 静間小太郎
この地は中世には若槻新庄静妻郷の中心地であったが、静間郷の名が文献に現れるのは室町時代の事であり、平安時代の動静については明らかではない。しかし平安時代末期には静間氏がこの地に居住しており、静間郷の成立もこの頃と思われる。
静間氏は源義朝配下として静妻小ニ郎の名が見え、相当な勢力を持っていたと考えられる。その後1159年(平治1)平治の乱で源義朝が敗れると、平氏の勢力下に入ったとされるが、1181年(養和1)6月、越後の城資職に従って横田河原で木曽義仲に敗れると、この地を追われ、以後静間氏は歴史上の文献から消えてしまう。
1555年〜58年(弘治年間)中野館を退去した高梨氏が飯山城に入っているが、防衛線としてこの付近の館が利用されたとも考えられている。
現在館址は静間神社が建ち、社殿裏に僅かに土塁が残されている。清川を隔て200メートルには北畑館があるが、関連は明らかではない。

参考文献  「長野・山梨の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年10月