曽谷城

曽谷城そやじょう
千葉県市川市曽谷3丁目
Mapion

--案内板--
別名 曽谷殿屋敷
交通 各線「本八幡駅」からバス「貝塚入口」下車。
築城年代 鎌倉時代
築城者 曽谷重胤
形式 平山城
主な城主 曽谷氏
千葉(千田)勝胤の子孫である千葉胤鎮からこの地を分知された重胤が城主になった事に始まると伝わる。そして重胤から2代後の曽谷教信が城内に安国寺を建立したという。
その後一族の末裔である胤貞は1336年(建武3)足利尊氏に従い、多々良浜合戦で活躍するが、下総国への帰途、三河国高橋の合戦で討死し、これにより曽谷城も落城したとされ、曽谷一族は後の1456年(康正2)市川合戦で滅亡したと伝えられる。
鎌倉時代の曽谷館は北東300メートルに建つ安国寺付近にあり、その後この地に城郭として構築されたと考えられている。一帯は宅地化されているが、本丸と考えられる台地南西部に遺構が残されている。私有地内に在り、見学出来ないが、腰曲輪跡と思われる一部のみ公園化されている。
腰曲輪跡 Mapion
安国寺

参考文献 「現地案内板」
                   「東葛の中世城郭 崙書房出版」
訪城回数 1
2015年10月