山口県周南市中央町 --勝栄寺西側・土塁-- |
別名 | |
交通 | JR山陽本線「新南陽駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | 南北朝時代 |
築城者 | 陶弘政 |
形式 | 寺院 |
主な城主 | 毛利元就 |
1350年年代、または1370年代に瀬戸内海の港町、富田市の東端に建立された時宗の寺院である勝栄寺は、南北朝時代、富田保に移った大内弘世の重臣陶弘政が開基とされる。勝栄寺旧境内は政治的・軍事的な性格を持ち、寺院でありながら城館的な施設であった。 1555年(天文24)毛利元就は厳島合戦で陶晴賢に勝利するが、その後長門・周防2国の各地で大内氏残党の蜂起が相次いだ。1557年(弘治3)11月、元就は長男隆元を伴い、この勝栄寺を本陣としてこれを鎮圧した。在陣中元就は自ら筆を執り、長男隆元・二男元春・三男隆景に対し、一致協力すべき事を諭した14ヶ条の教訓状(三矢の訓)を認めたといわれる。 |