将軍山城

将軍山城しょうぐんやまじょう
京都府京都市左京区北白川清沢口
Mapion
登山口地図

--本丸--
別名 北白川城・勝軍地蔵山城・瓜生山城
交通 叡山電鉄本線「一乗寺駅」から登山口・狸谷山不動院まで
徒歩20分。他にも複数ルートが在るようです。
築城年代 1520年(永正17)
築城者 細川高国
形式 山城
主な城主 細川高国・足利義輝
1520年(永正17)管領細川家の内紛により、細川高国と細川澄元・三好之長らが争っていた頃、高国が近江六角定頼と共に陣を構えたとされる。
1531年(享禄4)大物合戦で高国が敗れると、将軍山城は東山新城と共に焼失し、澄元の子晴元方の手に落ちた。1546年(天文15)12代将軍足利義晴と晴元が対立するようになると、義晴により大規模な修築が行われるが、翌年晴元率いる3万に攻められると、義晴・義輝父子は城を焼いて坂本へ逃れた。
1550年(天文19)と1558年(永禄1)には晴元と結んだ義輝が籠城して三好長慶や松永久秀と争い、その後も諸勢力に度々利用され、焼失と再建が繰り返された。1570年(元亀1)明智光秀が数ヶ月滞在し、比叡山に拠る浅井・朝倉連合軍と対峙している。
瓜生山山頂一帯が城址で、城域は広く、堀や土塁が残されているようだが、ほとんど藪になっている。また本丸に建つ将軍地蔵社(奥の院)裏手には六角定頼が戦勝を祈願して勝軍地蔵を安置した当時の石室が残されている。
本丸に建つ将軍地蔵社(奥の院) 石室に安置される地蔵 本丸下曲輪跡

参考文献 「近畿の城郭 戎光祥出版」
                「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2016年4月