正覚寺城

正覚寺城しょうかくじじょう
大阪府大阪市平野区加美正覚寺1
Mapion

--若宮八幡宮旭神社に立つ碑--
別名       
交通 JR関西本線「平野駅」から徒歩10分。
築城年代 室町時代
築城者 畠山政長
形式 平城
主な城主 畠山政長
1467年(応仁1)御霊林合戦に始まる応仁の乱は、山名宗全・細川勝元の死により、中央での戦乱は終結した。畠山義就は河内に兵を引くが、その後も義就・政長は河内・大和で争う事となる。
1477年(文明9)政長は正覚寺に陣を置き、義就と争ったが、この時以来正覚寺は城郭化されたものとみられている。
1493年(明応2)4月、義就の子である義豊率いる大軍に攻められ、25日政長は自害し、正覚寺城は灰燼と化した。
1577年(天正5)織田信長が石山本願寺攻めの際、この地に本陣を置いている。

参考文献 「現地石碑文」
              「歴史群像シリーズ 学研」
                    「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2009年5月