大阪府摂津市千里丘東3丁目 --織田勢来襲之古場碑-- |
別名 | |
交通 | 阪急京都線「摂津市駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | |
築城者 | |
形式 | 寺院 |
主な城主 | 頓恵 |
1570年(元亀1)から石山本願寺と織田信長が戦った10年に及ぶ石山合戦で、本願寺の末寺である勝久寺の住職頓恵は摂津・河内・和泉の僧俗数千と石山本願寺に立て籠もった。 1580年(天正8)3月5日、天皇の仲介もあり、信長との和睦が成立すると、4月9日顕如は鷺森へ移った。これに伴い、戦いに加わっていた住持・門徒も帰村した。安堵の思いで法義談合を行っていた5月28日未明、不意に信長軍に襲撃され、堂舎を焼き払われた上、多数の門徒が捕らえられて殺害されたという。辺り一面は血の海となり、寺の前方を流れる境川を「流れの馬場」古戦場と今に伝えている。 |
勝久寺 | 流れの馬場跡碑 |