高田城

高田城たかだじょう
奈良県大和高田市旭北町
Mapion
城址碑地図

--城址碑--
別名      
交通 各線「高田駅」から徒歩5分。
築城年代 室町時代初期
築城者 高田兵庫守為貞
形式 平城
主な城主 高田氏
高田氏は「長川流鏑馬日記(1384年)」に名のみえる一乗院方の国民で、古くから平田荘々官の一員として岡・万歳・布施氏と並んで葛下郡に勢力を張った。
1447年(文安4)10月、高田城は越智・古市方の布施氏に攻められ、五重の木戸を四重まで切り落とされるも撃退した。
松永・筒井両氏の抗争期に、高田氏は松永方に属し筒井方の布施氏に攻められるが、1568年(永禄11)10月1日、織田信長の支援を受けた松永方の援助もあって再び撃退しており、高田城が堅固な構えであった事が伺える。
1571年(元亀2)8月、松永久秀が辰市で筒井方に大敗すると、筒井城に在った高田氏は開城、退却し、続いて布施氏に高田出城を落とされた。
1580年(天正8)8月、織田信長の大和一国破城命令に従わなかった高田氏は城地を没収され、その後筒井順慶の侵攻により高田氏一族は滅亡した。
現在城址は学校・常光寺敷地となり、東側に堀池が拡張されたものという池があるのみとなっている。

参考文献 「現地案内板」
                         「三重・奈良・和歌山の城郭 新人物往来社」   
訪城回数 1
2009年8月