高原諏訪城

高原諏訪城たかはらすわじょう
岐阜県飛騨市神岡町殿
Mapion
城址入口地図

--北曲輪二重堀切--
別名 旭日城・江馬城
交通 JR高山線「高山駅」からバス「神岡」下車。
バス停から圓城寺まで徒歩30分。
築城年代       
築城者       
形式 山城
主な城主 江馬時盛・輝盛
1206〜07年(建永年間)平小四郎輝経(平清盛の弟経盛の子で鎌倉幕府初代執権北条時政に養育されたとされる)がこの地に入部し、この高原諏訪城を築いたといわれるが、諸説あり不明な点も多い。麓の江馬氏館と共に築城者・年代は明らかではないが、戦国時代には江馬氏の詰城の役割を果たしたと考えられる。
1582年(天正10)本能寺の変により織田信長が亡くなると、江馬輝盛は松倉城主三木自綱(姉小路頼綱)と飛騨の覇権を争うが、八日町合戦で敗れて討死、間も無く高原諏訪城も小島時光に攻め落とされ、江馬氏は事実上滅亡した。
神岡町を西に見下ろす稜線の南端を本城とし、鞍部を挟んで北のピークに出丸を設けており、土塁や堀切が良好に残されている。西麓に建つ圓城寺裏手から登山道(途中道路を横断する)があるが、車であれば地図の地点に入口がある。城址は良く整備されており、「江馬氏城館跡」の一つとして国の史跡に指定されている。
北曲輪(出丸) 北曲輪から見る二重堀切
北を通る道路も堀切跡か
北曲輪・本城間堀切
竪堀 土塁 三の丸
本丸下曲輪 本丸 本丸に立つ城址碑
本丸からの眺め 本丸南堀切 江馬氏館から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2016年4月