岐阜県飛騨市神岡町殿 --復元された会所主門-- |
別名 | 江馬下館 |
交通 | JR高山線「高山駅」からバス「神岡」下車。バス停から徒歩20分。 |
築城年代 | 室町時代か |
築城者 | 江馬氏 |
形式 | 館 |
主な城主 | 江馬時盛・輝盛 |
江馬氏は鎌倉時代に平小四郎輝経(平清盛の弟経盛の子で鎌倉幕府初代執権北条時政に養育されたとされる)がこの地に入部し、高原諏訪城を築いた事に始まるといわれるが、諸説あり不明な点も多く、この館についてもいつごろ築かれたものか明らかではない。 戦国時代、江馬時盛は甲斐武田信玄に従うが、その子輝盛は越後上杉謙信に通じ、父子は対立するようになる。1564年(永禄7)信玄は山県昌景に命じてこの地に侵攻すると、江馬父子は武田氏に従うが、その後輝盛が再び謙信に降ると、父子の不和は決定的となり、輝盛は刺客を放って時盛を討ち、弟らを追放して実権を握った。 1582年(天正10)本能寺の変により織田信長が亡くなると、輝盛は松倉城主三木自綱(姉小路頼綱)と飛騨の覇権を争うが、八日町合戦で敗れて討死、高原諏訪城も小島時光に攻め落とされ、江馬氏は事実上滅亡した。 1585年(天正13)豊臣秀吉の命を受けた越前大野城主金森長近が飛騨に侵攻すると、輝盛の跡を継いだ一族の江馬時政も加わるが、戦後褒賞に不満を持って一揆を起こし、長近勢に討たれた。 現在江馬氏館跡公園として綺麗に整備され、会所や門、庭園等が復元されている。 |
会所北堀 | 門前区画 | 会所西堀 |
復元された会所脇門 | 会所西堀・主門 | 会所南堀・土塀 |
工房区画 | 工房区画から見る会所 | 高原諏訪城から見る江馬氏館 |