高鍋城

高鍋城たかなべじょう
宮崎県児湯郡高鍋町大字上江
Mapion

--本丸政庁跡--
別名 財部城・舞鶴城
交通 JR日豊本線「高鍋駅」から徒歩30分。
築城年代 854〜57年(斉衡年間)
築城者 柏木左衛門尉
形式 平山城
主な城主 秋月氏
古くは財部土持氏の居城であったが、1457年(長禄1)影綱の頃、伊東祐堯に敗れて財部土持氏は滅亡し、伊藤氏の支配下に入った。
1578年(天正6)伊東氏が島津氏に追われると、島津氏は川上三河守忠智を城主に置き、高城川合戦の際には島津義弘がこの城に陣している。
1604年(慶長9)櫛間城から秋月種長が入城すると城は近代城郭へと修築される。
1673年(延宝1)財部の名は高鍋に改められ、高鍋藩の本城として明治まで存続した。
岩坂門跡 水堀 大手門跡

参考文献 「現地案内板」
                        「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2008年1月