長野県諏訪郡下諏訪町武居南 --表門跡に建つ社-- |
別名 | |
交通 | JR中央本線「下諏訪駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | |
築城者 | |
形式 | 屋敷 |
主な城主 | 武居祝 |
諏訪大社下社五官の筆頭、武居祝屋敷。大祝金刺氏の下、武居祝・祢宜太夫・権祝・擬祝・副祝の五官が中心となり、祭祀を行っていたが、その中で武居祝は最も勢力を持ち、神官職に当たるといわれる。 1518年(永正15)金刺昌春が籠城する萩倉の要害は諏訪頼満に攻められ自落、昌春は武田信虎を頼り、甲州へ逃れるが、内乱に巻き込まれて討死し、金刺氏は没落した。以後下社大祝は武居祝より立てられる事となる。 1542年(天文11)諏訪頼重が武田晴信に滅ぼされると、武居祝は武田氏に出仕するが、その後村上義清の下へ出奔したという。その為晴信は山田氏の出身である善政に武居祝の名跡を継がせたとされる。 江戸時代中期以後、武居祝は今井を称した。 屋敷跡は広大で、現在の武居南地区がそれに当たるが、一帯は宅地化されている。 |