千葉県千葉市花見川区武石町1 --真蔵院境内に立つ板碑-- |
別名 | |
交通 | JR総武本線「幕張駅」から徒歩25分。 |
築城年代 | 鎌倉時代 |
築城者 | 武石胤盛または胤重 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 武石氏 |
鎌倉時代、亥鼻城主千葉介常胤の3男胤盛(胤重とも)がこの地を分与され、武石三郎と称して居住した事に始まるといわれる。 1302年(乾元1)胤盛の曾孫宗胤は奥州亘理に移り、宗胤の曾孫広胤は亘理氏の祖となり、また武石館も広胤・胤村・顕胤と代々武石氏が続いて居住したと思われ、1538年(天文7)第一次国府台合戦の際、小弓公方足利義明に従い出陣した武石胤親が討死している。 胤盛が母の菩提を弔う為に建立したとされる真蔵院後方台地上が城址。一面畑になっており、北側には武石神社が建つ。土塁の一部が残るというが遺構ははっきりしない。 |